あえた
逢えないのも辛いけれど、
逢っても辛い
好きと言って
お願いよ。最後のお願い。
男はおし黙る。ばかか、最後のお願いが一体何回あるんだよ。
呆れた口調。抱きついているので顔の表情は読み取れないが、きっと、いや、絶対に困惑の状態になっている。
好きだよ
昔なら簡単に言ってくれた言葉なのに、今では、何年も前から一度も口にしてはくれない。
言葉が全てではない。
けれど、女は言葉をせがみ、
男は体をほしがる。
好きだと言ってくれないなら、離さないから。
男の首に巻きつく手をきつくしめる。
どうして。
嘘でもいい、あなが、あたしのものには一生ならないなら、せめて言葉を、言葉をください。
あいたくて
あいたくて、死にそうだ。
要らない感情に左右される。
涙を浮かべ、涙を流す。
息をきらして
1ヶ月ぶりに男に会う。
瑣末な時間に身体を重ねるだけ。
どうしてこんなに好きなのだろう。男はあたしをもう好きでもなんでもないのに。
くるしくて
雨の日になるとつい、メールをしてしまう。
おもての仕事。けれど現場は暴風雨以外止まることはない。常に工期に追われていて、尚且つ他の現場もあるため、ひと息つく暇もない。
けれどメールをすると、メールではなく電話をくれる。
あいかわらず、電話がくるとドキドキしてしまう。声がうわずる。
『わ、すげータイミング。俺もメールしようとした』
今、高速走ってる、と、付け足す。
『なんかあったの?』
『いや、めちゃくちゃ凹んでて。大変で。なんか愚痴』
そう、あたしは、耳元から聞こえる愛おしい声を記憶する。
すぐそばにいるようで、すぐそばにはいない。
遠い存在の人。
あいたいときに、あえないひとなのに。どうしてあたしの頭の中にいつまでもいるのだろう。
思い出すのは、男に抱かれている場面で、抱きしめられる温もりを必死に思い出そうとかき集める。
思い出される温もりなど現実味などはないが、細い糸で繋がっているだけだとしても、ただそれだけで嬉しい。
『まだ、これからお客さんとあうんだよ』
『……、そう』
あいたいわ。思わず言おうとしたけれど、やめておく。数日前に無理してあったぶんなのだ。
『連絡ちょうだいね』
『わかった』
『ほんとうに?』
意地悪く質問をしてみる。男からは滅多に連絡はよこさない。
『ははは』は、を、3度口にした。笑ったのか誤魔化したのかはぐらかしたのか取るに足らない笑い。
好きよ
この前、男に呟いた。
愛してる
留めの言葉に男はとうとう、バカ、と、だけ答えた。
どうしようもないあたしたちは、どうしようもなく小さくて、情けなくて、誰にも祝福などされず、身体を重ねるだけだ。
『またね』
鷹揚な口調で電話越しに呟けば、
『またな』
低くて愛おしい男の声が折り返してくる。
オムライスを作っていた。
男もオムライスが好きだ。あたしはだんだんと薄暗くなるおもてを小さな小窓から覗き、カチャカチャという金属音を鳴らし、ゆっくりオムライスを一口づつ口に運ぶ。
子どもの声がする。
夕方の喧騒があたしはきらいではない。
めをあけて
《げんき》
語尾上がりの質問だとわかっていると思うがあえて、クエッションマークはつけないようにし、gmailを送った。
嫌なことがあった。風俗に従事しているあたし。
嫌な客につき、無理やりキスをされ、濡れてもいないのに指を突っ込まれたくさん泣いた。気持ち悪かった。70歳くらいの老体から放たれる老体特有の鼻にツーンとくる意味のわからない匂い。メガネがないと見えないからといい、メガネを外さないのに顔を近づけキスをしてくるので、無機質で冷たいメガネのつるがあたしの顔に無遠慮にあたり、顔に傷が出来た。
先にお客に帰ってもらい、大きなベッドの上で大声でたくさん泣いた。泣きわめき悲鳴をあげた。
震える指先で打ったメール。
返事はその日から数えて3日後に来た。想定内だ。すぐに返信をしない男。
不倫をしている男。
『げんきではない』
唐突に容赦なく電話をしてくる。なんとなく鼻声だ。
『風邪、なの』
確信はないが、明らかに鼻声なので語尾をあげる。なの?と。
『ああ、そう。参った』
参っている顔が目の前に浮かぶ。男は建築家で現場監督だ。だいたい、毎日忙しい。
『休ん、あ、休めないか』
休んだの? などと言えば、真っ先に返ってくる言葉はわかっているので、あえて、休めないかに言いかえる。
『だな。けど、大分良くなった』
『そ、う』
無言になる。あたしから言わせたいのだ。男からは絶対に言わない台詞を。
『あいたいわ』
『顔が見たい』
男の言葉など挟まずに、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。男はおし黙る。
『あと、1時間で設計事務所出るから。1時間したら、いつものホテルに』
悩んだあげく。なやんだあげくの言葉にあたしはたちまち心が弾む。
『うん。わがまま言ってごめんなさい』
見えない男に頭を垂れた。
何回も別れている。奥さんにも知られあたしは離婚をした。たくさんの人を巻き込み傷つけ苦しめた。不倫は常に女が傷つくように出来ているのに、不倫の耽美に溺れ浸りうっとりしてしまう甘い罠に嵌ってしまったら抜け出すことはできない蟻地獄。
『はぁ』
ため息しか出ない。なぜこんなにもたくさん愛しているのだろう。たくさん男はいるのに。
『飲み会があってさ、まあ酔ってお施主さんが酒癖悪くてまあ、』
ほんのりとトーストされた男の横顔をしげしげと眺めながら、時に頷き、時に笑い、相づちを打ちながら話を聞いている。
『すごいね』
『えー!たいへんじゃん』
『忙しいのはなによりよ』
男の話す仕事の愚痴のあいさに、言葉を挟む。家庭に仕事は持ち込まないのが男。あたしは奥さんには話さない仕事の愚痴を聞くとたちまち優越感に浸る。奥さんの知らない顔をあたしは見ている。顔も知らない奥さんに鼻白む。ざまあみろ。
けれど、ざまあみろ。は、本当はあたしだ。
男と逢う理由は互いの近況の確認と肌を重ねるだけだ。
愚痴をたくさん吐露した男は無言で立ち上がりシャワーを浴びにゆく。
流れはとても自然だ。あたしも男が必ず用意しておいてくれる歯ブラシ(袋から出して歯磨き粉をつけてくれる)を咥えシャワーを浴びる。
部屋は薄暗くなっている。顔があたしだとわからないよう、暗くする。と、以前男がなんの脈略もなく口にした。
『失礼よ』
女なら誰でもいいみたいじゃない。あたしは口を尖らせた。
『お前だと思いたくない。お前とはすでに終わっているはずだから。最低限の足掻き』
『意味がわかんない』
遠くて新幹線の通過する音が無言の部屋に響き渡る。
男は自分に自制をし、いつでも自分を戒める。あたしも同じ罪をおかしているのに。
今からまた、罪をおかす。
男は病み上がりの身体であたしを慈しむように綺麗に抱いた。あたしの身体を全て熟知している。
男があたし身体を折り曲げ、もっとも早く抽送を送る。
顔があたしの真上にくる。
あたしは目を見開き男の頬を持ち、呟く。
『お願いよ。目を、あけて、』
震える声。乾いた唇。
男は細く目を開けた。暗闇でもしばらくすると目が慣れてくる。
時間にしたら数秒。あたしと男は視線を絡ませる。虚ろな悦を帯びた目があたしの子宮をおかしくする。
『す、き』
1回だけ呟いた。男からの呼応はない。あたしだけが放つ言ってはならない言葉。あたしは抱かれるたび愛してしまう。禁忌な恋だと知り得ている。誰にも言えないもどかしさは抱かれぞんざいに扱ってくれる他になすすべはない。
『あ、』
あたしの中で果てた男は、始末をし、あたしをそうっと抱き寄せた。
『ばか』
肩で息をしていた乱れた呼吸が整って来た横から、小さく男が言った。男はやれやれと言わんばかりに続ける。
『あの、タイミングで、目を開けて、とか、反則行為。ペナルティー』
怒っている口調ではない。むしろ照れている。耳朶が紅潮していた。
『ごめんなさい』
横顔が綺麗にカーブを描いている。
どうしたってこの男を嫌いにはなれいし、失いたくはない。
男はあたしを抱く。言葉などよりも現実味がある。愛されているという事実がそこに。
別れの時間が迫っている。いくか。男がベッドから降りようと腰をあげた。
あたしは、その腕を掴み、行かないで、という言葉を飲み込み、あたしも。シャワー行く。と、言葉をすりかえる。
『うん』
2人でシャワーを浴びる。汗と唾と体液を水で流せばまた日常に現実に戻る。
『またな』
あたしは、小さく頷く。男の背中を眺めながら心の中で雨を降らす。
おもては雨が今にも降り出しそうだ。ムワントするアスファルトの匂いは嫌いではない。
不倫
雨が降ってる。雨の日になると昔の男に逢いたくなる。男とあたしは雨の日しかあわない。
《元気なの?》
メールを打つ。雨があたしの指が勝手にスマホの上を滑る。
返事は直ぐにこないことはわかっている。この雨の中ずぶ濡れで現場に出ているはずだから。
あたしは、漫喫にいた。
雨足がひどく道路に打ち付けているのがわかる。
憂鬱だ。漫喫にいるお客さんを見渡すと馴染みの顔がある。あたしも馴染み客の一員だ。
ますます憂鬱になる。
パソコンを開き文字を打つ。頭に浮かぶ文字を乱れ打ちしてゆく。けれどそれは長くは続かない。
あたしは売れていない小説家だ。小説家と書くとホンモノの小説家さんに失礼なので、物書きという肩書きが相応しい。
文字の中の主人公の女はたいていあたしと紐付けされてしまう。物書きは身を削り、文章を売っている。
男はあたしを怖いと言った。顔や性格がおそろしいわけではない。あたしは男とあった顚末をあうたび小説に起こしていた。あるいは、男とこうなりたい、という夢想を兼ねて文章を書いたこともある。
その夢想が現実になってしまったのだから、男は怖がりあたしを避けるようになった。
一生一緒になれる人ではないとはじめからわかっていて付き合っていた。4年と数ヶ月。
最初の2年は男の話しも笑って訊けたが、最後の2年は、男の話しに笑えなくなり、逆に憤慨し、男の前で泣きじゃくるようになった。
抱かれるたびに泣いた。
『奥さんといつ別れるの』
朦朧とした中でいつもこの台詞を言っていた。男はたちまちあたしの唇を塞ぎ組みしいた。
身体であたしを縛りつけていた。うんもすんも言わせず、男は寡黙にただ、性急にあたしの身体を抱いた。
身体だけは律儀に抱くのに、心は、心だけは抱いてくれなかった。
何度目かの別れ話しの渦中で、
あたしは男の胸を針で刺した。
針は作業着を呆気なく通過し、みるみる赤い染みがうぐいすいろの作業着に染み出てきた。
男は痛いとも、やめろ、とも、言わず、血が滲み出た作業着に目を落とし、頭を垂れた。
あたしは、声を荒げけたたましく、笑い声をあげた。
笑い声は雨の音に負けそうだったので、さらに声を荒げ笑った。
『気が済んだのか』
男は殊勝な口調で顔を下に向けまま、呟いた。
これだけの仕打ちであたしの傷が癒えるとでも思ったの。
声には出せなかった。けれど、その言葉は火に油を注ぎ、あたしは、針を抜き、もう一度違う部位に刺した。今度は左胸に。ぐさりと音がするくらい、深く刺さった感触があった。
また、血が滲み出てくる。男はさすがに、痛い、と、白旗をあげた。
車内は静寂ながらも、雨の音が煩く、全てが煩わしく感じた。
あたしは、男の首を絞めた。
男がセックスをするときに、あたしの首を絞めるように、思い切り力を入れた。
うっ、男は苦しそうに呻くが、抵抗はせず、
『ころしてくれ』
声を絞り出し、ころせ、と、命令をした。憎かった。
愛していたぶん、憎かった。
あたしのものにならない男。だったらあたしの手により葬りたかった。そしてあたしも死のうと思い、鞄には睡眠薬を大量に用意しておいたのだ。
ふと、足もとを見たら、レシートのようなものがおちていた。
あたしたちは男の車の後部座席にいる。
なんだろう。手を伸ばし確認をする。
映画の半券だった。
『ま、真央と観に行ってきたんだよ』
訊いてもいないのに、男の口が勝手に動いた。
半券を持ちながら、真央ちゃんの顔があたしの脳をかすめた。真央ちゃんには2回程あったことがある。
遠目で見ただけ。あたしが男に無理をいい、漫喫に連れてきてもらったのだ。
真央ちゃんにはまるで関係はない。
今目の前にいる男は、あたしとセックスをしているこの男は、紛れもなく真央ちゃんのお父さんなのだ。
あたしは、半券をぐちゃぐちゃに丸め、車のドアをあけ、外に投げ捨てた。雨が半券をたちまち濡らしてゆく。
雨があたしの顔と身体にかかり、それでも扉を閉めれなかった。
あたしは外に出て、反対側に回り、男のいる方のドアを開け、男を引きずり降ろした。
男はそのまま転げ落ち、濡れたアスファルトの上で仰臥をした。
『ばか!』
あたしは、ばか、ばか、と、泣き叫び、シャワーのような雨に打たれている男に抱きついた。
雨に濡れた作業着の血は雨で姿を消してゆく。
けれど、刺さっているほうの針からは、律儀に血は流れていた。
『死んで。このまま』
男は、あたしの頭に手をやり、撫ぜる。濡れている長い髪の毛はあたしの頬にひっつき嫌悪を抱いた。
『わかった』
男は胸ポケットから、ボールペンを取り出し、あたしの背中めがけて刺した。
そして、男はそれを抜き、自分のお腹を同じようボールペンで刺した。
雨の中、本屋の駐車場。夜の8時。
救急車の音。
あたしは、ありがとう、男に呟いた。あたしのものになってくれて、ありがとう。と。
《マーマーゲンキ》
数時間後に男からカタカタで返信が来た。
《あいたいよ》
《今日は無理。また、連絡する》
短いメールだ。
あたしたちは、殺しあったあとでも未だに糸は切れてはいない。
男とあたしは別々の救急車に乗った。
男は出血多量で危険な状態だったらしい。
あたしは、先にきた救急車で運ばれた。男が呼んだのだ。
背中が未だに痛い。寒い時はとくに痛む。痛むけれど、痛みがある以上あたしは男を忘れることなどはないだろうし、このまま痛みと共に生きていこうとしている。
痛みがあたしの全てならば、それでいい。
小学4年生だった真央ちゃんは、今年は高校受験だ。
雨が強くなる。
あたしは、パソコンをはたと閉め、窓の外に目を向けた。
え!
なおちゃんが泥酔で先に寝てしまい、一度寝たら起きないのはわかっていたので、デリへルの仕事に行った。常連さんだったので、巻けばいいやと思い、急いでホテルに出向いた。なおちゃんの家から自転車で5分のホテルだ。
終わり急いで戻ったら、消して行ったはずの電気がついていた。
やばい。起きちゃったんだ。あたしは心臓が停まるかと思うくらいに焦燥し、暫しうちに入れなかった。
意を決して部屋に入る。なおちゃんがぼーっと突っ立っていた。
あ?あ?
たがいに、あ?と言い合い、
あたしの方から先に、コンビニに行ってきたよ。
と、平然と言ってのけた。
だと、思った。なおちゃんが眠たそうな目をこすりながら疑ぐる余地もなく頷く。
ホテルでシャンプーも、洗顔も済ましてきたあたしだけれど、普段もわりとすっぴんなので、気づいてはいない。けど、予防線をはり、お風呂はためて出掛けたので、
なおちゃん、お風呂わいてるから入ったら。と、促し、風呂に入らせ、あたしもそのあとを追い一緒に湯船に浸かった。
あー、ものすごい罪悪感。
もうこのような危険なことはやめようと、心に誓うも、前のときもそう誓ったのに。
学習しないあたしだ。