不倫

 雨が降ってる。雨の日になると昔の男に逢いたくなる。男とあたしは雨の日しかあわない。

《元気なの?》

 メールを打つ。雨があたしの指が勝手にスマホの上を滑る。

 返事は直ぐにこないことはわかっている。この雨の中ずぶ濡れで現場に出ているはずだから。

 あたしは、漫喫にいた。

 雨足がひどく道路に打ち付けているのがわかる。

 憂鬱だ。漫喫にいるお客さんを見渡すと馴染みの顔がある。あたしも馴染み客の一員だ。

 ますます憂鬱になる。

 パソコンを開き文字を打つ。頭に浮かぶ文字を乱れ打ちしてゆく。けれどそれは長くは続かない。

 あたしは売れていない小説家だ。小説家と書くとホンモノの小説家さんに失礼なので、物書きという肩書きが相応しい。

 文字の中の主人公の女はたいていあたしと紐付けされてしまう。物書きは身を削り、文章を売っている。

 男はあたしを怖いと言った。顔や性格がおそろしいわけではない。あたしは男とあった顚末をあうたび小説に起こしていた。あるいは、男とこうなりたい、という夢想を兼ねて文章を書いたこともある。

 その夢想が現実になってしまったのだから、男は怖がりあたしを避けるようになった。

 一生一緒になれる人ではないとはじめからわかっていて付き合っていた。4年と数ヶ月。

 最初の2年は男の話しも笑って訊けたが、最後の2年は、男の話しに笑えなくなり、逆に憤慨し、男の前で泣きじゃくるようになった。

 抱かれるたびに泣いた。

『奥さんといつ別れるの』 

 朦朧とした中でいつもこの台詞を言っていた。男はたちまちあたしの唇を塞ぎ組みしいた。

 身体であたしを縛りつけていた。うんもすんも言わせず、男は寡黙にただ、性急にあたしの身体を抱いた。

 身体だけは律儀に抱くのに、心は、心だけは抱いてくれなかった。 

 何度目かの別れ話しの渦中で、

 あたしは男の胸を針で刺した。

 針は作業着を呆気なく通過し、みるみる赤い染みがうぐいすいろの作業着に染み出てきた。

 男は痛いとも、やめろ、とも、言わず、血が滲み出た作業着に目を落とし、頭を垂れた。

 あたしは、声を荒げけたたましく、笑い声をあげた。

 笑い声は雨の音に負けそうだったので、さらに声を荒げ笑った。

『気が済んだのか』

 男は殊勝な口調で顔を下に向けまま、呟いた。

 これだけの仕打ちであたしの傷が癒えるとでも思ったの。

 声には出せなかった。けれど、その言葉は火に油を注ぎ、あたしは、針を抜き、もう一度違う部位に刺した。今度は左胸に。ぐさりと音がするくらい、深く刺さった感触があった。

 また、血が滲み出てくる。男はさすがに、痛い、と、白旗をあげた。

 車内は静寂ながらも、雨の音が煩く、全てが煩わしく感じた。

 あたしは、男の首を絞めた。

 男がセックスをするときに、あたしの首を絞めるように、思い切り力を入れた。

 うっ、男は苦しそうに呻くが、抵抗はせず、

『ころしてくれ』

 声を絞り出し、ころせ、と、命令をした。憎かった。

 愛していたぶん、憎かった。

 あたしのものにならない男。だったらあたしの手により葬りたかった。そしてあたしも死のうと思い、鞄には睡眠薬を大量に用意しておいたのだ。

 ふと、足もとを見たら、レシートのようなものがおちていた。

 あたしたちは男の車の後部座席にいる。

 なんだろう。手を伸ばし確認をする。

 映画の半券だった。

『ま、真央と観に行ってきたんだよ』

 訊いてもいないのに、男の口が勝手に動いた。

 半券を持ちながら、真央ちゃんの顔があたしの脳をかすめた。真央ちゃんには2回程あったことがある。

 遠目で見ただけ。あたしが男に無理をいい、漫喫に連れてきてもらったのだ。

 真央ちゃんにはまるで関係はない。

 今目の前にいる男は、あたしとセックスをしているこの男は、紛れもなく真央ちゃんのお父さんなのだ。

 あたしは、半券をぐちゃぐちゃに丸め、車のドアをあけ、外に投げ捨てた。雨が半券をたちまち濡らしてゆく。

 雨があたしの顔と身体にかかり、それでも扉を閉めれなかった。

 あたしは外に出て、反対側に回り、男のいる方のドアを開け、男を引きずり降ろした。

 男はそのまま転げ落ち、濡れたアスファルトの上で仰臥をした。

『ばか!』

 あたしは、ばか、ばか、と、泣き叫び、シャワーのような雨に打たれている男に抱きついた。

 雨に濡れた作業着の血は雨で姿を消してゆく。

 けれど、刺さっているほうの針からは、律儀に血は流れていた。

『死んで。このまま』

 男は、あたしの頭に手をやり、撫ぜる。濡れている長い髪の毛はあたしの頬にひっつき嫌悪を抱いた。

『わかった』

男は胸ポケットから、ボールペンを取り出し、あたしの背中めがけて刺した。

そして、男はそれを抜き、自分のお腹を同じようボールペンで刺した。

 雨の中、本屋の駐車場。夜の8時。

 救急車の音。

 あたしは、ありがとう、男に呟いた。あたしのものになってくれて、ありがとう。と。

 

 

 《マーマーゲンキ》

 数時間後に男からカタカタで返信が来た。

《あいたいよ》

《今日は無理。また、連絡する》

 

 短いメールだ。

 あたしたちは、殺しあったあとでも未だに糸は切れてはいない。

 男とあたしは別々の救急車に乗った。

 男は出血多量で危険な状態だったらしい。

 あたしは、先にきた救急車で運ばれた。男が呼んだのだ。

 背中が未だに痛い。寒い時はとくに痛む。痛むけれど、痛みがある以上あたしは男を忘れることなどはないだろうし、このまま痛みと共に生きていこうとしている。

 痛みがあたしの全てならば、それでいい。

 小学4年生だった真央ちゃんは、今年は高校受験だ。

 

 雨が強くなる。

 あたしは、パソコンをはたと閉め、窓の外に目を向けた。