不器用
不毛な愛だとわかっている。好きになり過ぎると胸が苦しくて死にそうになる。もがく。深い海の中に沈んでゆくかんじ。これほどまでに好きでもどうすることもできない。
男は不器用だ。
好きと言わない優しさは逆にあたしには辛辣である。
奥さんがいないから
奥さんが出張でいないならといい、男がうちにきた。引っ越しをしたぶんで、たくさんパンダの箱のある中で抱き合った。
なかなか別れることができない。
男はあたしの身体を熟知している。
あたしたちは、いつもセックスの後、反省会をする。
冷静になり真顔で反省会。笑えてくる。
酔っていたので、自転車で来て自転車で帰って行った。
付き合っている男と同い年の不倫相手の男。
どちらとも愛おしいほど好きだけれど、そう簡単に会えない不倫相手を優先してしまうあたしがいる。
5年も付き合っている。
奥さんにもばれたがまだ続いているとは思っていないだろう。申し訳ないとかまるで思わない。そんなくだらない思考はすでになくなった。
『嫌いならこない』
男はいつもそう言う。なら、好きなのか、と、問えばうまく言葉を濁す。
先のない恋。
なかなか終わりは来ない。
あえた
逢えないのも辛いけれど、
逢っても辛い
好きと言って
お願いよ。最後のお願い。
男はおし黙る。ばかか、最後のお願いが一体何回あるんだよ。
呆れた口調。抱きついているので顔の表情は読み取れないが、きっと、いや、絶対に困惑の状態になっている。
好きだよ
昔なら簡単に言ってくれた言葉なのに、今では、何年も前から一度も口にしてはくれない。
言葉が全てではない。
けれど、女は言葉をせがみ、
男は体をほしがる。
好きだと言ってくれないなら、離さないから。
男の首に巻きつく手をきつくしめる。
どうして。
嘘でもいい、あなが、あたしのものには一生ならないなら、せめて言葉を、言葉をください。
あいたくて
あいたくて、死にそうだ。
要らない感情に左右される。
涙を浮かべ、涙を流す。
息をきらして
1ヶ月ぶりに男に会う。
瑣末な時間に身体を重ねるだけ。
どうしてこんなに好きなのだろう。男はあたしをもう好きでもなんでもないのに。
くるしくて
雨の日になるとつい、メールをしてしまう。
おもての仕事。けれど現場は暴風雨以外止まることはない。常に工期に追われていて、尚且つ他の現場もあるため、ひと息つく暇もない。
けれどメールをすると、メールではなく電話をくれる。
あいかわらず、電話がくるとドキドキしてしまう。声がうわずる。
『わ、すげータイミング。俺もメールしようとした』
今、高速走ってる、と、付け足す。
『なんかあったの?』
『いや、めちゃくちゃ凹んでて。大変で。なんか愚痴』
そう、あたしは、耳元から聞こえる愛おしい声を記憶する。
すぐそばにいるようで、すぐそばにはいない。
遠い存在の人。
あいたいときに、あえないひとなのに。どうしてあたしの頭の中にいつまでもいるのだろう。
思い出すのは、男に抱かれている場面で、抱きしめられる温もりを必死に思い出そうとかき集める。
思い出される温もりなど現実味などはないが、細い糸で繋がっているだけだとしても、ただそれだけで嬉しい。
『まだ、これからお客さんとあうんだよ』
『……、そう』
あいたいわ。思わず言おうとしたけれど、やめておく。数日前に無理してあったぶんなのだ。
『連絡ちょうだいね』
『わかった』
『ほんとうに?』
意地悪く質問をしてみる。男からは滅多に連絡はよこさない。
『ははは』は、を、3度口にした。笑ったのか誤魔化したのかはぐらかしたのか取るに足らない笑い。
好きよ
この前、男に呟いた。
愛してる
留めの言葉に男はとうとう、バカ、と、だけ答えた。
どうしようもないあたしたちは、どうしようもなく小さくて、情けなくて、誰にも祝福などされず、身体を重ねるだけだ。
『またね』
鷹揚な口調で電話越しに呟けば、
『またな』
低くて愛おしい男の声が折り返してくる。
オムライスを作っていた。
男もオムライスが好きだ。あたしはだんだんと薄暗くなるおもてを小さな小窓から覗き、カチャカチャという金属音を鳴らし、ゆっくりオムライスを一口づつ口に運ぶ。
子どもの声がする。
夕方の喧騒があたしはきらいではない。
めをあけて
《げんき》
語尾上がりの質問だとわかっていると思うがあえて、クエッションマークはつけないようにし、gmailを送った。
嫌なことがあった。風俗に従事しているあたし。
嫌な客につき、無理やりキスをされ、濡れてもいないのに指を突っ込まれたくさん泣いた。気持ち悪かった。70歳くらいの老体から放たれる老体特有の鼻にツーンとくる意味のわからない匂い。メガネがないと見えないからといい、メガネを外さないのに顔を近づけキスをしてくるので、無機質で冷たいメガネのつるがあたしの顔に無遠慮にあたり、顔に傷が出来た。
先にお客に帰ってもらい、大きなベッドの上で大声でたくさん泣いた。泣きわめき悲鳴をあげた。
震える指先で打ったメール。
返事はその日から数えて3日後に来た。想定内だ。すぐに返信をしない男。
不倫をしている男。
『げんきではない』
唐突に容赦なく電話をしてくる。なんとなく鼻声だ。
『風邪、なの』
確信はないが、明らかに鼻声なので語尾をあげる。なの?と。
『ああ、そう。参った』
参っている顔が目の前に浮かぶ。男は建築家で現場監督だ。だいたい、毎日忙しい。
『休ん、あ、休めないか』
休んだの? などと言えば、真っ先に返ってくる言葉はわかっているので、あえて、休めないかに言いかえる。
『だな。けど、大分良くなった』
『そ、う』
無言になる。あたしから言わせたいのだ。男からは絶対に言わない台詞を。
『あいたいわ』
『顔が見たい』
男の言葉など挟まずに、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。男はおし黙る。
『あと、1時間で設計事務所出るから。1時間したら、いつものホテルに』
悩んだあげく。なやんだあげくの言葉にあたしはたちまち心が弾む。
『うん。わがまま言ってごめんなさい』
見えない男に頭を垂れた。
何回も別れている。奥さんにも知られあたしは離婚をした。たくさんの人を巻き込み傷つけ苦しめた。不倫は常に女が傷つくように出来ているのに、不倫の耽美に溺れ浸りうっとりしてしまう甘い罠に嵌ってしまったら抜け出すことはできない蟻地獄。
『はぁ』
ため息しか出ない。なぜこんなにもたくさん愛しているのだろう。たくさん男はいるのに。
『飲み会があってさ、まあ酔ってお施主さんが酒癖悪くてまあ、』
ほんのりとトーストされた男の横顔をしげしげと眺めながら、時に頷き、時に笑い、相づちを打ちながら話を聞いている。
『すごいね』
『えー!たいへんじゃん』
『忙しいのはなによりよ』
男の話す仕事の愚痴のあいさに、言葉を挟む。家庭に仕事は持ち込まないのが男。あたしは奥さんには話さない仕事の愚痴を聞くとたちまち優越感に浸る。奥さんの知らない顔をあたしは見ている。顔も知らない奥さんに鼻白む。ざまあみろ。
けれど、ざまあみろ。は、本当はあたしだ。
男と逢う理由は互いの近況の確認と肌を重ねるだけだ。
愚痴をたくさん吐露した男は無言で立ち上がりシャワーを浴びにゆく。
流れはとても自然だ。あたしも男が必ず用意しておいてくれる歯ブラシ(袋から出して歯磨き粉をつけてくれる)を咥えシャワーを浴びる。
部屋は薄暗くなっている。顔があたしだとわからないよう、暗くする。と、以前男がなんの脈略もなく口にした。
『失礼よ』
女なら誰でもいいみたいじゃない。あたしは口を尖らせた。
『お前だと思いたくない。お前とはすでに終わっているはずだから。最低限の足掻き』
『意味がわかんない』
遠くて新幹線の通過する音が無言の部屋に響き渡る。
男は自分に自制をし、いつでも自分を戒める。あたしも同じ罪をおかしているのに。
今からまた、罪をおかす。
男は病み上がりの身体であたしを慈しむように綺麗に抱いた。あたしの身体を全て熟知している。
男があたし身体を折り曲げ、もっとも早く抽送を送る。
顔があたしの真上にくる。
あたしは目を見開き男の頬を持ち、呟く。
『お願いよ。目を、あけて、』
震える声。乾いた唇。
男は細く目を開けた。暗闇でもしばらくすると目が慣れてくる。
時間にしたら数秒。あたしと男は視線を絡ませる。虚ろな悦を帯びた目があたしの子宮をおかしくする。
『す、き』
1回だけ呟いた。男からの呼応はない。あたしだけが放つ言ってはならない言葉。あたしは抱かれるたび愛してしまう。禁忌な恋だと知り得ている。誰にも言えないもどかしさは抱かれぞんざいに扱ってくれる他になすすべはない。
『あ、』
あたしの中で果てた男は、始末をし、あたしをそうっと抱き寄せた。
『ばか』
肩で息をしていた乱れた呼吸が整って来た横から、小さく男が言った。男はやれやれと言わんばかりに続ける。
『あの、タイミングで、目を開けて、とか、反則行為。ペナルティー』
怒っている口調ではない。むしろ照れている。耳朶が紅潮していた。
『ごめんなさい』
横顔が綺麗にカーブを描いている。
どうしたってこの男を嫌いにはなれいし、失いたくはない。
男はあたしを抱く。言葉などよりも現実味がある。愛されているという事実がそこに。
別れの時間が迫っている。いくか。男がベッドから降りようと腰をあげた。
あたしは、その腕を掴み、行かないで、という言葉を飲み込み、あたしも。シャワー行く。と、言葉をすりかえる。
『うん』
2人でシャワーを浴びる。汗と唾と体液を水で流せばまた日常に現実に戻る。
『またな』
あたしは、小さく頷く。男の背中を眺めながら心の中で雨を降らす。
おもては雨が今にも降り出しそうだ。ムワントするアスファルトの匂いは嫌いではない。